外資系ラグジュアリーホテルの日本進出が相次ぐなか、日本でもホテルスパがウェルネスコンセプトを軸に進化を始めている。国内外のホテルスパやレジデンススパのコンサルティングに携わる武藤興子氏に、ウェルネス×○○で見えてくるスパの可能性について提言いただく連載シリーズ。第4回目は、インバウンド需要が高まる今、改めて問い直したい「ホテルスパの価値」について。五つ星ホテルの標準装備となったスパは、なぜ差別化が難しくなったのか。そして、世界から選ばれる日本のホテルスパをつくるために、今こそ取り組むべきことは何か。武藤興子氏が語る。
なぜ人は、そのスパを訪れるのか──選ばれるホテルスパの条件
インバウンド需要の高まりを受け、ラグジュアリーホテルの客室稼働率は好調だ。
ADR(平均客室単価)も上昇し、レストランも賑わいを見せている。しかし、その一方で、スパは「付帯施設」という位置づけに留まってはいないだろうか。
「五つ星ホテルにはスパが標準装備という時代になりました。しかし、“なぜそこへ行くのか” という問いが、開発段階から十分に設計されていないケースも少なくありません」と武藤氏は指摘する。
非日常を感じさせるラグジュアリーな空間、洗練された内装、広々としたトリートメントルーム──多くのホテルスパが高い水準を満たしている。しかし、その均質化が進んだ結果、「どこへ行っても似ている」という印象を与えてしまっている側面もある。そのスパでなければならない理由や、そこを目的に訪れる必然性が見えにくくなっているのだ。
「現在、多くのホテルでは、スパが“滞在中に時間があれば利用する施設” という位置づけに留まっているケースも少なくありません。
しかし本来、スパには滞在価値そのものを高め、ホテルのブランド体験を深化させる力があります。その可能性を十分に活かしきれていないとすれば、非常に大きな機会損失だと感じています」
スパが持つ、見過ごされている価値──宿泊から「体験」へ
しかし、スパには本来、大きな可能性がある。武藤氏は、スパがホテルにもたらす価値を改めて整理する。
「まず、滞在価値を高める装置としての役割です。単なる宿泊ではなく、“体験” として滞在を設計できる。スパを起点に、食事や客室での過ごし方まで含めた一連の体験をデザインすることで、滞在そのものの質が変わります」
さらに、スパはホテル選択の決定要因にもなり得る。同じランクのホテルが複数ある中で、「このスパがあるから、ここに泊まる」という動機を生み出せれば、競合との差別化につながる。
そして、ウェルネス滞在の価値を高めることは、収益面でも大きなメリットをもたらす。
第一に、単価の向上だ。ウェルネスに価値を感じるゲストは、相応の対価を支払う準備がある。第二に、滞在日数の長期化。海外の滞在型ウェルネス施設では、最低滞在日数を1週間以上に設定しているところもある。そして第三に、リピートの創出だ。
「ヘルス&ウェルネスリゾートの老舗、タイのChiva-Som(チバソム)は、3 泊以上でしか予約が取れないことでも知られています。
また、滞在型メディカル&ヘルススパとして知られるドイツのLanserhof(ランサーホフ)では、1週間以上の滞在が基本です。それでも、世界的テクノロジー企業の経営層や、極めて多忙なエグゼクティブ層が、半年に1回など、定期的に心身をリセットしに訪れるそうです。多忙を極める彼らの年間スケジュールには、1週間以上の滞在があらかじめ組み込まれているのです。
高単価・長期滞在・高いリピート率を実現できる顧客構造は、ホテル経営において極めて理想的です。ゲストが“定期的に心身を整えに訪れる理由” を設計できれば、スパは単なる付帯施設ではなく、継続的な収益とブランドロイヤルティを生み出す中核機能になり得ます」
武藤氏自身、かつてホテルスパのオペレーションに携わっていた際、印象深い経験をしたという。
ホテル滞在中、何らかの行き違いやトラブルによって、ご不快な思いをされたゲストがいらっしゃった際、ホテル側の配慮としてスパへ案内されることがあった。
「ご不快なお気持ちを抱えていらっしゃるゲストに、スパで少しでも心を落ち着けていただけないだろうか、とご相談を受けるのです。私たちは詳細な経緯を知らされないままお迎えすることも多いのですが、トリートメントを終えられる頃には、表情がやわらぎ、穏やかな笑顔でお帰りになる。その姿を何度も目にしてきました」
スパには、単に身体を癒やすだけではない力がある。
張り詰めた感情をほどき、心身のバランスを整え、そのホテルで過ごした時間そのものの印象を変えてしまうほどの力があるのだ。
武藤氏は、「スパとは、単なる付帯施設ではなく、ホテルでの滞在を“感情とともに記憶される体験”へと変える場所でもある」と語る。

「日本らしさ」の本質を問い直す
インバウンド需要を背景に、日本ブランドやローカル素材を取り入れるスパが増えている。日本の薬草や植物、地域の特産物を使ったトリートメントは、外国人ゲストだけでなく、日本人にとっても新鮮な体験となり得る。
しかし武藤氏は、「日本のものを導入するだけで良いのだろうか」と疑問を投げかける。
「海外で私たちが“和” に出会った際、“なんとなくオーセンティックではない” と感じることがありますよね。五つ星ホテルに泊まるゲストは、世界中の優れたサービスを経験してきた、目の肥えた方々です。表面的な演出だけでは、その違和感はすぐに見抜かれてしまいます」
では、本当の「日本らしさ」とは何なのか。武藤氏はこう考える。
「日本は歴史的に、外から入ってきた文化や技術を柔軟に受け入れ、自国の感性と融合させながら、さらに高い価値へと昇華させてきた国です。イノベーションよりも“改良” を得意とする国だと言われることもありますが、私は、その磨き上げる力も、日本の大きな強みだと思っています」
つまり、西洋か日本かという単純な二項対立ではない。
西洋のフィトセラピーやブランドを用いながら、日本独自の繊細なホスピタリティやサービス哲学を取り入れる。あるいは、日本やローカルブランドをベースにしながら、西洋の理論やアプローチを融合させる。
さらに、“日本らしさ” は空間演出だけでは成立しない。
所作の美しさ、間(ま)の取り方、静けさの質、おもてなしの繊細さ、過不足のないバランスなど、そうした、“体験そのものに宿る感性” こそが、本質的な日本らしさなのである。
「そうした融合によって初めて、“海外でも、日本国内でも代替できない体験価値” が生まれる。そこに、日本発のホテルスパが世界で存在感を発揮していく可能性があると考えています」
リラクゼーションから「気づき」へ──テクノロジーとの融合
もう1つ、武藤氏が注目するのが、エビデンスベースのウェルネスだ。ウェアラブルデバイスや測定機器の進化により、ウェルネスの「見える化」が可能になってきた。
「従来のスパはリラクゼーションが中心で、“なんとなく気持ちよかった” という感覚的な満足で終わることが多かった。しかし今は、自律神経のバランスや睡眠スコア、体の糖化度など、さまざまな指標を簡単に測定できます」武藤氏が運営を行うスパでも、AGEs測定機器を導入。指を置くだけで糖化度スコアが測定でき、ゲストは自分自身の状態を客観的に把握できる。
「数値や同年代との比較を見ることで、睡眠や食事、ストレス、運動に対する意識が高まり、次回来店までの目標や指標にもなります。非日常の体験が、日常の行動変容へとつながっていくのです」
ただし、データだけではもちろん不十分だ。従来からスパが大切にしてきた“五感へのアプローチ” や、深い意味でリラックスする体験は、人間にとって本質的に必要なものでもある。
テクノロジーによる「見える化」と、感覚に訴えかける自然療法やトリートメント。その両方を融合させることが、これからのスパには求められている。
今が分岐点──世界から選ばれるスパをつくるために
かつては、「海外の有名スパブランドが日本初上陸」というだけでニュースとなり、人が集まった。しかし現在、その訴求だけでは、ゲストの心を動かし続けることは難しくなっている。
「これからのスパは、“本質” を突いていかなければならないと思っています。単に欧米の成功事例をなぞるのではなく、『これこそが日本の誇れるスパ体験である』という独自の価値を言語化し、世界へ発信していく。その設計と実現ができたホテルやブランドが、これからの時代をリードしていく存在になるのではないでしょうか」
日本には、ウェルネスへとつながる豊かな資源が数多く存在している。「大切なのは、“和” を演出することだけではありません。日本が本来持っている価値を深く理解し、その背景にある歴史や文化、ストーリーとともに、ブランドフィロソフィーとして確立していくこと。その積み重ねによって初めて、“本物の日本らしさ” を体験へと落とし込むことができるのだと思います」
インバウンド需要が拡大する今こそ、ホテルスパのあり方を根本から見直す転換点に来ている。
単なるリラクゼーション施設ではなく、滞在価値を高め、リピートを生み出し、ゲストの日常と非日常をつなぐ“体験価値の中核” として、スパを再定義していく。
その視点を持ち、長期的なブランド戦略としてスパに取り組むホテルこそが、これからの時代、世界の中で選ばれる存在になっていくのではないだろうか。
Interview

武藤興子(むとう・きょうこ)氏
ヴィセラ・ジャパン株式会社 代表取締役
大学卒業後、多国で他業種を経験後、植物療法・治療目的の製品開発を原点とするフランスのスパブランド「YON-KA(ヨンカ) 」と出会う。日本における独占販売権と世界ではじめてブランドの名を冠した直営店の運営権を獲得。2004年にスパ&ウェルネスに特化したヴィセラ・ジャパン株式会社を創業。現在は、スパ業態発展のためのコンサルティングやアドバイザリーなど幅広く活躍している。数々の受賞歴を持ち、世界の スパアワード「ワールドラグジュアリースパアワード」で、アジアのシティスパ部門で1位を獲得。「温泉利用指導者」資格を有し、温泉を利用したスパ・プログラム構築も得意とする。